雨垂れ笹雀

不定期更新でUnityとか創作とかについて書くはずのブログ。ブログ?任せとけよ、もう5,6回はエタった事あるぜ。

Unity1week お題「2」 ヌリカミー賞授賞式

 

ヌリカミー賞です。Unity1weekに関する記事なのですが、ここまで来るとどのUnity1weekの話をしてるのかわからないぐらいに遅刻しました。すんません。

次回のu1wの開催告知が出てから前回u1wの記事が出るという、図らずもネクストレベル宮本武蔵スタイルになってしまったわけですが、 逆にここまで遅れたら前人未到なんちゃうの?みたいな。逆に今この記事を読むことで、u1wへのモチベだとか意識みたいなのをつけていく一端になる可能性があるということで手を打っていただきたく思います。ふてぶてしくも、ものは言いようです。

 

 

~ヌリカミー賞とは~

u1wで僕が好きな作品を、僕しか言わないんちゃうか的観点から語って褒めて表彰したいという、このブログの存在意義とイコールの記事になっています。

毎度の事ながら、選考基準は僕のエゴと独自っぽい文章が書けそうかどうかで決まっているので、ここに書かれていない中にも好きなゲー

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失礼しました。レッツヌリカミーが出てしまいました。

 

・『深海探索』~~Dive into the Love賞~~

美麗なドット絵と没入感のあるダイビング体験。有無を言わさず世界観構築力を持った作品だ。中でも僕がこのゲームで素晴らしく上手いなと思うのは、世界観をプレイヤーに想像させる表現方法だ。

基本的に『深海探索』において、言葉によって世界観や時代設定などが明確に語られることはない。言葉から得られるのは魚の生態周りにフォーカスした話ばかりで、ハッキリと世界の輪郭がつかめるようなストーリーの語り手は存在しない。

 

しかし、なんとな~くバックグラウンドを語るオブジェクトは存在する。海を泳いでいる間、プレイヤーは高層ビルや海中でもなお明かりのついた信号機など、まるで都市そのものがアトランティスよろしく海底奥深くに沈んでしまったような想像をさせる物々を見つける。

見つけたからといってプレイヤーキャラクターが何かリアクションを取るわけでもなく、それ以上情報は追加されないのだが、プレイヤー本人は考える。このでかすぎる近代文化の山がアクアリウムの一部となるまで、一体どんな過程がありどれほど時間が経ったのか。

信号機がなぜ電気がついているのはなぜか。そもそもここは本当に海中なのか。実はかつてはここも陸だったのではないか。仮にそうだとすると、人間はなぜ潜水艇とダイビングスーツを着込んで魚を観察しに来る程の科学レベルと文化的余裕を保持出来ているのか。

 

考えてしまう。なぜなら、ここは広大は海の中だからだ。アクションゲームのような忙しさはなく、手すきの時がある。ボンヤリ酸素補給をしている間や、とうに見知った魚たちの中をモゾモゾ泳いでいる間など。脳みそが若干ヒマな瞬間に、目の前に広がる景色の正体を考えてしまう。

 

『深海探索』は、大量の海水と両手から少しばかり溢れる時間というツールを使って、プレイヤーを妄想の海に沈めている。

 

僕がなんとテクニカルでシニカルな描写なのか、と感嘆した箇所がある。それはゲーム終了時に流れる主人公のコメントだ。

『深海探索』の中では魚図鑑と並んで唯一言語によって語られるパートであり、世界観考証という観点から人間の生の声というのは重要だ。果たして何を考え何を話すのか。

構えながら聞けば、魚の話しかしない。廃ビルや主人公のバックボーンの存在など影も形も見えないほどに。徹底して、「もっと魚が観察したかった」だとか「このあたりに魚がいるみたいだ」とか、口を開けば魚の話だ。どんだけ魚好きなんだ。

 

しかし、語られないからこそ推理できることもある。この潜水において主人公にとって発見した新たなモノとは、「沈んだビルや信号機」ではなく「魚」だという事だ。都市が海の藻屑となっている事実よりも、魚一匹の観察こそがよっぽど重要事項だというわけだ。

これに気づいた時、僕はぞっと背筋が寒くなった。要するに僕は今、主人公に「そりゃ都市なんて普通に沈んでますよ。そんなことより魚見ようぜ」と、倫理観と優先順位がイカれた事を語られているのだ。

 

俺と主人公の間に果てしなく深い溝を感じると共に、『深海探索』世界のバックグラウンドを垣間見た。おそらく人類はすでに過去の事件として、都市の沈没もしくは致命的な海面上昇を体験している。そしてそれはもはや既知の事実であるため、この世界は今更語るべくもないので語られない。

それから時が経ち、人類は魚を観察して研究するためのダイビングが出来るくらいには復活する。そこでいざ調査へと乗り出したのがゲーム開始時点というわけだ。

都市沈没レベルの災害を受けた世界で、することが何かと思えば「魚の観察」で、当人から出てくる言葉も魚魚。どこまでもしぶとい人類の、愚かしく狂気的なまでの知的好奇心と執念を感じざるを得ない。

 

ストーリーテリングのテクニックとして、「重大な出来事は過去に仕込んでおく」というものがある。例えば映画『レディプレイヤーワン』なんかは、作品開始の時点ですでに世界にはVRダイブ型ゲームが普及した。その手のゲームが開発されて普及していく様に長々と尺を使ったりはしない。

その変化球として、上記で描いた過去にあえてスポットライトを照らさないことで、逆に違和感を持たせ際立たせる、という手法で描かれたのが、この主人公のコメントなのだ、と俺は受け取った。もちろん真偽は聞いてみなければわからないが、僕がここまでの世界構造を感じ取れてしまったのは紛れもない事実だ。

 

ということで、主人公のコメントの執筆を担当したというまっともぉんさんにそんな感じの旨を伝えたところ「そこまで考えてなかった」とは言われたのだが、そんな事はどうだっていい。

いや、むしろちょうどいい。僕がヌリカミー賞でなぜ恥ずかしげもなく度々妄想を垂れ流しているのか、やや脱線するが触れておきたい。これは「そこまで考えてなかった」に対する僕としての回答でもあり、『深海探索』の世界に対するラブコールであるからだ。

 

簡単に言えば、真偽がどうであろうとプレイヤーに妄想させた時点で作者の勝ちだ。と僕は思っている。

 

考察にも言える事なのだが、たとえ作者が想定していようといまいと、妄想をさせた事実そのものが「作品が世界を構築している」何よりの証拠になる。たとえ根も葉もない妄想をしようとも、その土台となる「世界」がなくては成り立たない。

 

また、「その世界が魅力的である」証拠でもある。「世界」が支離滅裂で無価値で魅力のないものなら、受け手もわざわざ妄想や考察をしようとはしない。

しかし堅牢で魅惑的な「世界」に受け手が飲み込まれた時こそ、「妄想」は発生する。「世界」が息づき、登場人物がひとりでに喋り出す。1+1が2であるように、この世界ではこれはこうなるはずだ、と、受け手の中に秩序立てられた「世界」が動き出す瞬間。それこそが「妄想」だと僕は考える。

 

受け手に妄想させる行為とは、その世界の1+1を2にしてきた者の特権だ。

 

この世界を作ってくれてありがとう。妄想という野原で駆けずり回れるくらいに広い世界を作ってくれてありがとう。僕にとって妄想とは、そういった作品への愛が込められた行為だと認識している。

仮に受け手が作者の想定から外れていったとしても、作者はそこまでの世界を作り上げたことを誇るべきで、負い目を感じる必要なんてどこにもない。仮に「そこまで考えてなかった」としても、「受け手が代わりに考えてくれた」くらい、その世界が独り立ちした証なのだから。

 

というレトリックの風味でマイ妄想打率の低みから目をそらしつつまとめると、『深海探索』は俺を広大な妄想の海に漂わせ、その奥深くへと更に更に導いていくような力を持った世界だった。

僕が遊んだのは初期バージョンであるため、そこそこの数の往復とチキンプレイをたしなみながら図鑑コンプリートをしたのだけれど、そこまでプレイを続けられたのはひとえに僕が作品の魅力という網にかけられていたからだろう。

 

世界観という海を深く潜って、そのついでに作品愛たるやを語る機会を俺にくれた『深海探索』には、「Dive into the Love賞」を贈りたい。

 

たとえ妄想打率が0%でも、これからもヌリカミー賞はエビデンスの不足なんかに負けたりしない!

 

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エビダンスの不足

 

・『2縺、縺ョ縺サ縺』~~繝舌リ繝翫け繝ャ繝シ繝励?螟ァ蛻、辟シ縺賞~~

僕的に、このゲームには勝手にシンパシーを感じている。

というのも、この……タイトルが呼びづらいので、この場では便宜上『2ョサ』と呼ばせてもらうが、『2ョサ』は未知の言語を話す星に来た主人公=プレイヤーが、現地人との会話や看板などから言語を解き明かしていくゲームだ。

そして偶然にも、僕は前回のunity1weekで、同じく知らない言語を手探りで解き明かしていく『Meaningful World』なるゲームを作っている。象形文字風の言語をフィールドワークで解き明かしていく、という点で一致するゲームはなかなか珍しいと思うので、個人的には少なからず親近感があるのは想像に難くないと思う。

 

しかし特筆すべきは、僕のMeaningful Worldとこの『2ョサ』は、ここまでテーマが一致しているにも関わらず全く違う形のゲームになっていると感じるところにある。

俺しか書かなそうな事を書くのがヌリカミー賞だというのなら、今回はこの『2ョサ』を、いやしくもMeaningful World作者として感じた拙作との差異や注目ポイントなどの着眼点から書かせていただこうと思う。

ゲームの他薦記事において自作の話が入り込むとはいよいよ趣旨がズレ込んでいる気がしなくもないが、ヌリカミー賞では俺がルールだと開き直ることにする。めったにない機会ということで許してほしい。

 

なお、このゲームは骨のある謎解き自体がゲームの核であるため、執筆時点でゲーム公開からすでに2ヶ月程経っているとはいえ、決定的なヒントや回答に繋がりかねない内容を含むため本文を隠しておく。多少のネタバレを承知の方のみ開いて読んで欲しい。

それから、以下の内容に関してはわりと好き勝手書いているが、内容に関して作者さんに一切確認を取っていない。なので、まるで見当違いのお話だったり、作者さんにとって心外な解釈な可能性もある。

あくまで俺の個人的な推察と見解であるという事を了承の上お読みいただきたい。言ってから気づいたけど、ヌリカミー賞って大体いつもそうだった。なんだこの賞。

 

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まず『2ョサ』とMeaningful Worldの、架空言語というものへのアプローチの共通点から整理する。

両ゲームでは、「日本語のひらがなにそれぞれ対応する文字があるため、文字と日本語の対応表を作り置き換える事で読めるようになる」という仕組みで架空の言語が作られている。

 

もちろんこれは単に日本語のもじりでしかないため、言語というほど複雑なものではない。しかし短編ゲームという形にするにあたって、本当に1から言語を作っていてはいよいよキリがないし、作るのも遊ぶのも難しすぎる。

なので我々の母国語である日本語に当てはめていく形ならば、作りやすくプレイヤーにも理解しやすく架空言語を提供できるし、表音文字であるひらがなのみを使えば読解や文字の置き換えに問題も起こらない。無難な落とし所だと思う。

 

僕のMeaningful……書くのが面倒くさい。ミニフワと、『2ョサ』はこの時点、架空言語のシステムセットまでは一致している。しかしここからはわりと何もかもが違っていると思っている。

まず真っ先に、そして一番大きく違うのは、言語を解き明かすという体験そのものをどれほど重く見積もったかだ。

 

僕がミニフワを作った時、そもそも言語の解明自体を体験の核に置く気にはならなかった。言語を解き明かすゲームなのにそれはいかにもおかしく聞こえるが、僕的にミニフワの核というのは「机に向かう」「読めない言語に四苦八苦する」「文献を漁る」「苦労の結果が結実する」あたりにあるつもりで、言語の解法自体はそこまで重要ではないと思っていた。言語を解き明かそうとする行為自体こそが重要で、実際解くためのロジックや過程は二の次だったと言えばわかりやすいだろうか。

ミニフワを類推だけで解き明かしてクリアした人に、本の答えとか見てクリアしたら作業では?と言われたけど、まさにそのつもりだった。頭を抱えながらやる仕事というのが僕の認識だったし、そもそもこのゲームが読解パズルである事すら、人に言われるまで意識すらしなかった。

 

『2ョサ』はまさに真逆で、文字を解き明かす事こそが圧倒的にゲームの本編だ。架空言語自体が半ば舞台装置だったミニフワに対して、『2ョサ』には「言語を解き明かす行為自体がそもそも面白くね?」と言われた気分だった。

僕的にはこれ自体が驚きだった。僕の『2ョサ』攻略時間は1時間だったのだけれど、1時間かけて言語を解き明かす行為を面白いと感じる、これがすでに全く予想外だった。自分が捨てたもので面白い作品を作られるというのは表し難い衝撃がある。

ミニフワが言語解明を舞台装置にしているのに対して、『2ョサ』の言語解明は本筋であり主役であり脚本そのものだ。両者ではゲームプレイの意味が本質的に違う。

 

また、ミニフワが手紙という不動の言語塊とサシで相対するのに対して、『2ョサ』はまさしく他言語圏の環境下そのものにブチ込まれる。ミニフワではアナテラ語がアウトサイダーだが、『2ョサ』では自分こそがアウトサイダーだ。この差は言語を扱う上ではかなり重要だ。

『2ョサ』では味方が誰もいない。あの世界での公用語を話せないと右も左もわからない。『2ョサ』初プレイにおいて、隅から隅まで世界を探し回っても誰も翻訳してくれなかった時の絶望感ったらない。映画『ターミナル』で主人公がテレフォン?テレフォン?とか言って途方に暮れてた時のような状況だ。

あの圧倒的アウェイ感。とにもかくにも話せなければ何も出来ない中、言語習得へのモチベーションは非常に高い。あの「話せなきゃやっていけねえよ」という状況そのものが、『2ョサ』を読解パズルとして成り立たせ、言語解読の快感を報酬レートとして値上げさせているのではないかと思う。

対してミニフワにおいては、主人公がアナテラ語を解き明かせなかったとて、自分は何も害されることはない。アウトサイダーが一人困るだけだ。ミニフワの翻訳が善意の尽力ならば、『2ョサ』の翻訳はまさに死にものぐるいの生存戦略だ。

 

違う点はまだある。ミニフワと『2ョサ』では、「ゲームへの没入感」の解釈が違う。ミニフワはゲーム内にのめり込ませようとしているが、『2ョサ』はゲーム自体を丸ごと飲み込ませようとしている。

まず1点。ミニフワはとにかくゲームのウィンドウ内で翻訳を完結させようとしているが、『2ョサ』はゲーム外からのアプローチを誘発している。

ミニフワはゲーム内に入門書を用意し、翻訳キットを用意し、自分が何を読めていてあと何が読めればいいのか、翻訳に必要なすべてをゲーム内に用意した。自分が主人公となる世界観への没入がねらいだったからだ。

 

『2ョサ』はプレイヤーが主人公そのものになるというよりは、プレイヤー自身が頭を抱えてPCに向かうことを前提としたデザインになっている(多分)。まず、大きなヒントになるのがタイトル画面というところからしてある種のメタ情報が入っている。

ゲーム開始最初のヒントとして、タイトル画面にある「はじめから」「つづきから」を読み解きワードのあたりをつける事が出来るが、初見からここに至るまでには「初見タイトル画面→ゲーム始める→途方に暮れる→ひらめいてタイトル画面に戻る」というプロセスが必要で、一度ゲーム画面から離れてF5を押す必要がある。

ゲームウィンドウの中からプレイヤーを逃したくないミニフワでは、何があってもF5なんて押させるわけにはいかない。逆に『2ョサ』はゲームウィンドウの外に目を向けさせることで、ゲーム媒体自体を逆手に取る手法を採用している。

 

ゲームウィンドウ内外の扱いで言うならば、大きい存在がもう1つ。ミニフワは翻訳した文字リストがゲーム内にあるが、『2ョサ』には無い。なので、『2ョサ』においては自分で文字リストを用意しなければならないのだ。

僕が『2ョサ』をクリアした時は、gyazoでゲーム画面のスクショを撮り、未知の文字を切り抜き並べていってリストを作った。プレイ中は常にメインモニターとサブモニターの反復横跳び。

これはゲームウィンドウ内に集中させたいミニフワでは絶対に出来ない事だ。没入性と明確性を取ったミニフワと、言語法則の秘匿とメタゲーム的解釈を取った『2ョサ』、この違いが文字リスト採用不採用の分水嶺となっている。

 

また、これはやや小話に寄るのだが、いつかu1wプレイ配信で『2ョサ』に対して「ゲーム内に文字リスト必要だったのでは」的なコメントがあった。気がする。けれど『2ョサ』に文字リストを搭載するのは、僕の想像ではおそらくスマートでない。

その原因は、濁点・半濁点と小文字という概念にある。

 

『2ョサ』では、法則が「既存の文字に点をつける」「既存の文字を小さくする」という微妙な差分によって文字が作られている。

『2ョサ』の文字リストを作った人間の多くは、濁点や小文字に関しては途中で法則が見破れたため、点がついているのを見るや「ああ、濁点ね」とリスト化を放棄したのではないだろうか。

 

ゲーム内にそれと同じことが起こる。ミニフワの当てはめシステムで想像してもらえるとわかりやすいが、一見して丸わかりの差分シリーズを全部ポチポチはめていくのは不毛な作業だ。そして情報量が薄い割にスペースがかさむ。

なぜこんな話が出来るかといえば、何を隠そう、ミニフワが濁点や小文字という概念を採用していないのはこの問題に当たったからという過去があるからだ。それも『2ョサ』と全く同じ、点をつけたり小文字にするつもりだったので、本当に同じ全く問題だ。不採用の背景には文字のつくりが日本語に寄り過ぎるという設定的な問題もあったんだけれど、まあ僕の話はいい。

 

ともあれ、『2ョサ』に関しては文字リストがない方が清潔なデザインになっているし、文字リストの不在自体が自然でプレイヤーが己の手で解き明かすという体験に一役買っていると思う。自分で作った不細工な文字リストには、異文化コミュニケーション悪戦苦闘の味がある。

 

以上、僕が思う大きな差異だ。ゲームデザインも違う、翻訳の意義も体感も違う、メタの扱いも違う、プレイヤーに立たせたい場所も違う。ここまで何もかも違うのだから、僕が全く違う形のゲームになっていると言ったのも頷いてもらえるだろうか。

 

唯一共通しているのは「他言語学ぶのつらい」って認識くらいだろうか。ミニフワは入門書や翻訳キットを手にした他言語へのチャレンジとして描いているが、『2ョサ』の他言語は暴力的な不可解情報の洪水だ。辛い通り越して怖い。これを読んで異言語解明をさらに別方向のスキルツリーに解釈したくなった方には、ぜひ怖くない他言語習得という開拓をしていただきたい。

 

なお再びになるけども、ここまでクダを巻いておきながらにしてこれらの内容は俺の勝手な推論でしかなく、コンセンサスは全く無いという事を改めて記しておきたい。

 

 

まとめると、『2ョサ』はミニフワと同じく異言語解明をテーマに取りながらも、ゲームデザインも違えばゴールも違う全くの別作品だ。同じ出発点からここまで異なる道を歩く様を見せられるのは、僕としては目からウロコの感動もので色々と学ばせていただいた。

俺が「ガチで困難の中翻訳しても正直キツくてクリアしてもらえないだろ」と二の足を踏む中、そうでもねえぞと言わんばかりにガチ困難かつ面白いメタ翻訳パズルという輝きを対岸から見せてくれた、アバンギャルドでMirabileでdW5ibGlldmFibGU=な『2縺、縺ョ縺サ縺』には、「繝舌リ繝翫け繝ャ繝シ繝励?螟ァ蛻、辟シ縺賞」を送らせていただこう。

 

なお、この文字化けは「文字化けしてんだから何書いても一緒だろ」という企みの元適当に今食べたいものを変換させただけなので、難読極まる賞の名前に関して気にかける必要は全く無い。

 

・『Akimbo Doll』~~浄瑠璃文楽High noon賞~~

僕としては、ケチのつけようがなく満点の作品。1ドットとして残らずゲームのすべてがテーマを遂行している。

絵から音から、何から何までが統一してひとつの世界を作り出しており、このレトロカートゥーン人形劇を妨げるものは何もない。

 

評価を見ると、高スコアを放つ項目の中で操作性一つだけが比較的低めになっている。おそらく、銃弾を狙い通りに命中させる事が極めて難しいからだろう。

もとより「操作性」自体評価が難しい項目であるし、直感的に気持ちよく操作できるゲームが操作性において高評価となるのも理解出来る。しかし、『Akimbo Doll』は操作性も5だと、俺は胸を張って言える。

 

この操作性の素晴らしい点は、「操作性そのものが世界観を産み出している」ところにある。マウスに追従しながら全身を力なくブラブラさせる人形。四肢につながった頼りなくか細い糸で、手先指先で必死に操っていく。

 

決して簡単ではなく、初回なんかは何百と弾を外しながらようやっと敵を倒す事になる。

確かにうまくいかないしままならない操作だけれど、これでいい。このままならなさが、逆に操り人形を必死に動かしている感覚を産み出してくれる。自分の身体ではないのだから、ままならなくて当然だと思わせてくれる。

 

仮にだが、マウスのまさに狙った場所めがけて銃弾が飛ぶようにするのは簡単だろう。バンバン撃って敵を倒す爽快アクションゲームにする事も出来るだろう。しかし、それでは操り人形を動かすというアイデンティティを遂行していると必ずしも言えはしない。

 

「ガンマンの操り人形を動かして敵を倒す」という点において、この操作性の表現は完璧だ。ままならないからこそ操り人形だし、ままならないからこそ滑稽劇なのだ。

やがてパペットさばきのなんたるやを学習し、習熟し、弾丸が狙い通りに敵を撃ち抜いたその瞬間。我々は「ままならない操り人形」に「敏腕ガンマン」の命を吹き込むことができ、この体験によって『Akimbo Doll』は完成すると僕は思う。

 

この操作性こそが『Akimbo Doll』に不可欠なピースであると感じるし。世界観表現の一員となる操作性とはなんと美しいものか。あえてこの操作を採用しようと判断した作者さんのこだわりと理解度と作り込みにこそ、最大限の敬意を払いたい。

 

ゲームシステム、音、絵、操作性、そのすべてが人形に命を吹き込むというある種の人形浄瑠璃文楽を表現してくれた『Akimbo Doll』には、『浄瑠璃文楽High noon賞』を送らせていただこう。

 

 

~~ここからショートバージョンいきます~~

 

2WaysDungeon』~~Dodge for Alive賞~~

やはり回避……!回避はすべてを解決する……!

シンプルかつ直感的な操作とシステムで、インスタントにローグライクを体験出来るのが素晴らしい。

一度回避範囲が広がりすぎてDVDみたいになった状態でユニティちゃんを蹂躙した折に再確認したが、ローグライクとは真髄たるアタリ回の暴力に見つけたり。

逆に死神の像を99999回引いたり、店が来ないあまり金を999999G抱え落ちしたりするのもまたローグライク。所詮ローグライクとは、やるかやられるかの2Wayでしかないと教えられた。

 

撃竜伝2』~~世界のための歌と言えばWe are the Worldとシューティングスター賞~~

後に「Unity1週間ゲームジャム お題『2』」という単語を見た時、俺の第一感想は「ああ、あの撃竜伝2の……」になると思う。それほどにこのゲームはインパクトが強い。

お題が発表された時、「存在しないゲームの2とかもアリなんだよな」的なツイートはいくつか見た記憶があるのだけれど、このネタをここまで鮮やかに拾い上げるのは見事の一言だ。ギャグセンが高すぎる。

とっくに2ってお題は回収し終わってるのに、何が不安なのか「2」とか「Ⅱ」が媚を売るように露骨に流れてくるところとか、最終的にスタッフロールという名目すら擲って殺しに来るところとかが面白すぎた。

また、昨年アカデミー賞を受賞したハリウッド版オリジナル映画『GEKIRYUDEN』の存在も見逃せない。古くからの撃竜伝ファンとしては不安の拭えなかったハリウッド映画化だが、完成したものはその前評判を覆すほどの力がある作品だった。

ハリウッドならではの高い技術力と美麗な演出で彩られた映像と、英語版シューティングスターが全米の感動を誘った事は記憶に新しい。

また、映画オリジナルヒロインであるBMWの存在も鮮烈だった。ドラゴンとBMWが月に向かってドライブするシーンは涙なくしては語れず、公開前ネットでミーム化するほどだったBMWのブタ鼻も、上映後にはチャームポイントに思えてくるほどの名演だった。

近年の映画界隈を取り巻く性的多様性と反ルッキズム、その両面を掬い上げつつ作品として高次元に昇華させた本作は、撃竜伝らしさを保ちつつもLGBTD(レズビアン・ゲイ・バイセクシャルトランスジェンダー・ドラゴンカーセックス)の新たな表現方法を切り開いたと言える。

お馴染み長寿IPである撃竜伝だが、この度ハリウッドの大地を踏みさらなる飛躍をしていった。FF・ドラクエ・撃竜伝の日本3大RPGの一角と謳われた作品がどこまで行くのか、これからもその生き様を古参ファンの一人として見届けていきたい。 (文・塗 菅男)

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(写真・BMW役の俳優)

 

クロイノ』~~シンバルモンキーならぬシンバル……なんだこの生き物!?賞~~

直感的かつ爽快な操作、それだけでゲームはここまで面白いのだと理解させてくれる作品。

基本的には楽しくプチプチを潰せるのだが、ハイスコアを狙い出すと運指ならぬ運足に戦略性があり、 いかに効果的かつ弱点のない形の足運びとは?と考え出すこともできる。

敵を踏み潰した時の軽快なシンバルのSEもオシャレでニクい。「楽しい」という言葉をそのまま具現化したようなゲームだ。

 

CAT IN TWO』~~ことこと煮込んでコックコート賞~~

Downwellをよりカジュアルかつ一口サイズに再解釈した、ことこと煮込んだポトフをカレーにリメイクしたように無駄のない作品。

直感的なゲームルールとアクション、可愛らしいデザインとシェフの猫の調理というモチーフまでもが美しくクセのないカジュアルゲームを作り出す。

食材をどのくらい切りに行くのか自分で選べる=難易度を自分でコントロールでき、クリアだけなら無理しない範囲で切ればいいし、ハイスコア狙いならば全員残さず芯を捉えて両断してやろうという、プレイスタイルの幅を許容するゲームデザインもお気に入りだ。カボチャコンボでカボチャスープを山程作ろう。

 

Magic Battle』~~禁力魔法モストマスキュラー賞~~

色違いの半裸マッチョのにらみ合いという絵面のインパクトにやられてしまいそうになるが、その実このゲームは大変に硬派で奥深い、攻略を考えるのが楽しいゲームだ。

敵の攻撃をいなして勝つにはどの技がいいのか?どのくらいステータスを上げればいいのか?スピードランに適した戦法とは?この技の値段と性能のコスパはいかなるものか?

トライアンドエラーを繰り返すうち、これが色違いの半裸マッチョのにらみ合いである事すらも忘れることになる。二人のマッチョがリングに相対した時、始まるべきはボディビル大会ではなく魔法バトルだったのだ。

 

CRパチンカス勇者(仮)』~~パチンカスの魂100回転まで賞~~

パチンコとRPGというまさかの組み合わせ、その見事な融合が素晴らしい。ちょっとしたデッキ構築要素もパチンコとマッチしており、「そういえばパチンコって法的にはギャンブルじゃなくて遊戯だったわ」と再確認させられる面白さだ。

単なる一発ネタや奇抜な試みに留まらず、ゲームシステムとして新しくも面白い。ゲームテンポというパチンコならではの課題はあるものの、広い拡張性と可能性を感じさせる仕上がりになっている。

 「パチンカスだった主人公が転生したら勇者だった」という、作中には全く出てこない設定が紹介欄に奥ゆかしく記されているのもポイントが高い。

 

最後のふたり』~~Sang in the rain賞~~

世界観の表現方法があまりにも上手い。シンプルにポストアポカリプスものとして雰囲気が良いというのもそうだが、その世界のにじませ方が美しい。

パズルのルールとして傘を差していかなければいけない理由が「酸性雨が降るから」だとか、ややレトロなラジオから極めて一方通行の放送が聞こえてくるだとか、ゲーム内に溶かし込んだ世界を言外に、そして自然に映し出す手法が最高に上手い。

この手法はストーリーテリングに関しても同様で、口で「こうなりました」と説明するのではなく、プレイヤーに推察させて想像させる。あくまで「にじませる」事を徹底しているが故に、後味が淡くほろ苦く、しかししつこくないものになっている。

短編でこうした展開を作るというのは一つ間違えれば露悪的に、またある時は他人事になりかねないのだが、そうならないように世界を成立させているのは素晴らしい描写力の一言だ。

 

SuperBacon』~~モーニングセットにトーストとベーコンエッグとスーパーボールが出てきたような賞~~

これはスーパーボールの上でベーコンが跳ねるゲームだ。生憎と僕はスーパーボールの上でベーコンに跳ねてもらいたいと思った事がないので、なぜスーパーボールの上でベーコンが跳ねるゲームを作ったのかはわからないが、とにかくこれは面白いゲームだ。

ドカドカとあられのように降るスーパーボールをかいくぐり、ベーコンゆえに(と言って適切なのかわからないが)ヌルヌルと流動的に玉あられの中をすり抜けていき生き残る。ベーコンならではの操作感と生存戦略の中、気を抜いたら即座に焼きベーコンとなる緊張感がとても良い。

『SuperBacon』には前作として『BACON-BACON』 というベーコンのゲームがあり、そのコメント欄で「2、3作目で難易度を上げたい」旨の発言があった事は知っていたが、1作目で影も形もなかったスーパーボールはどこから来たのだろう。謎は尽きない。人類にベーコン学はあまりにも早すぎた。

 

弐之型之蛇』~~宗教法人『藪蛇』賞~~

ここはヌリカミー賞だ。俺の好みで選んでいい賞だ。だからこのゲームを入れさせてもらうぞ。僕の乏しい語彙力では良さを表現し難いが、とにかく俺はこのゲームが好きなんだ。

おそらく弐之型之蛇に成るよりも、地元に帰って自己啓発本出してる方がよっぽど幸せなのが良い。

 

222 Times Drivin!!!!』~~スーパードライブスペクタクル賞~~

こう、なんか荒野で、車がゴーッ!と走って、銃をダダダダダ!って撃って、敵がバーッって来るのをガーッ!ってやってお店でチャリーンしてゴーッのダダダのブーンのボーン、なんやかんやでとにかくドーン!

エンタメかくあるべしだ。人々はもっとこの方からエンターテイメントというものを学ぶべきだと思う。何はなくとも爆発があり、ラスベガスさながらにギラギラの画面レイアウトと勢いと、息もつかせぬエンタメの波状攻撃。このプレイしているだけで汗をかいてくる熱量と徹底っぷりに、世間はもっと刮目するべきだ。

弾や敵を上下に避けながら銃を乱射し、時折店に急ブレーキで停車しアップグレードを買うを繰り返す。愚かにも自分で車のスピードを上げ、金を払って難易度を上げることもできる。いかにもアドレナリンジャンキー的行為だが、このゲームをプレイしている間、そうならない事は難しい。

人間なんていうのは所詮、車なり棺桶なりが荒野をマッドマックスみたいに駆け回るだけで満足してしまうような脳みそなのだ。燃やせ燃やせ。

 

 

 

 

以上です。今回も長々と読んでいただきありがとうございました。u1w直後ならいざしらず、完全に旬を逃したこの記事を読んでくださった皆様には五体投地の思いです。

毎回「そろそろ本気で怒られるかもしれない」というにじり寄る恐怖の中書いているヌリカミー賞ですが、遅刻まで始めるといよいよ両手のワイングラスをこぼさないようにしながらリンボーダンスする修行をしている気分です。

 

次回のu1wが9月6日開催のため、このままいくとヌリカミー賞あわや2ヶ月連続発刊となるわけですが、実際書くかは不明。でも、書きたいゲームがあったら否応無しに書くしかなくなるので、皆様のチルなソウルとグッドバイブレーションということで。またよろしくお願いします。

 

あとは……そうですね。

う~ん……じゃあ、まあ、いつものをやって終わりということで。どっこらせっと。

 

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( ^ω^)……

 

( ^ω^ )おじさん

 

( ^ω^ )オチ考えるの面倒くさくなっちゃった

 

( ^ω^ )なんか最近元気ないし

 

( ^ω^ )暑いし

 

( ^ω^ )ヌリカミー賞2ヶ月遅刻するし

 

( ^ω^ )もうねお題2だけに2ヶ月遅刻とか

 

( ^ω^ )言わないくらいに

 

( ^ω^ )もうあれかも

 

( ^ω^ )うつ病かも

 

( ^ω^ )……

 

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~終~